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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)2908号 判決

原告(昭和五〇年(ワ)第四四〇五号事件―甲事件) 町田泰子

〈ほか一名〉

原告(昭和五一年(ワ)第二九〇八号事件―乙事件) 亡高山ヒナヨ承継人 蛭本美代子

〈ほか二名〉

右原告ら五名訴訟代理人弁護士 西村孝一

同 吉岡寛

同 水野正晴

同 永井均

原告(昭和五〇年(ワ)第五七六六号事件―丙事件) 福地家宏

〈ほか一五名〉

右原告ら一六名訴訟代理人弁護士 佐伯幸男

同 浅井利一

被告 国

右代表者法務大臣 坂田道太

右指定代理人 櫻井登美雄

〈ほか二名〉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、

(一) 原告町田泰子に対し、金七九四万八五八八円及び内金六九四万八五八八円に対する昭和五〇年六月七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

(二) 原告町田洋介に対し、金三八八五万二一八七円及び内金三七八五万二一八七円に対する昭和五〇年六月七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

(三) 原告蛭本美代子、同高山めぐみ、同国広富美子に対し、各金一六〇六万三〇二五円及び内各金一五〇六万三〇二五円に対する昭和五一年四月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

(四) 原告福地家宏、同福地雅子、同福地正興に対し各金一三一二万円、同平嶋ユキコに対し金二四四万円、同平嶋直樹、同平嶋正樹に対し各金二〇七四万円、同上村順子に対し金七一八万円、同上村昌子に対し金三八三四万円、同久保綾子に対し金一〇二九万円、同久保成重に対し金四〇八五万円、同渥美京一に対し金一二九〇万円、同渥美おれんに対し金二〇三八万円、同松山ヨシに対し金四一六三万円、同吉浪弘子に対し金二二三万円、同吉浪正子、同吉浪邦枝に対し各金一六九九万円、及び右各金員に対する昭和五〇年七月二〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言(ただし、丙事件の原告らは第1項(四)についてのみ)

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨の判決

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告らの身分関係

原告らは、いずれも後記事故により死亡した海上自衛隊所属自衛官の相続人である。

2  本件事故の概要

(一) 事故の種別

本件は、後記協同訓練を終了して徳島県板野郡松茂町所在の海上自衛隊徳島航空基地(以下「徳島基地」又は「徳島飛行場」という)へ帰投中の海上自衛隊所属の対潜哨戒機と対潜ヘリコプターが空中衝突し、搭乗員が全員死亡した事故である。

(二) 事故発生の日時及び場所

日時 昭和四二年一月一六日一八時五一分頃(ただし、丙事件原告らの主張は、一八時四九分ないし五〇分頃)。

場所 徳島県小松島沖上空(於亀瀬の北東約二二〇〇メートルの海面高度約二四〇メートルの上空)

(三) 事故当日の天候

晴 視程良好(約一九キロメートル)

風向 北西

風速 約六メートル毎秒

雲底高度 約一〇〇〇メートル

(四) 事故機

(1) 海上自衛隊第三航空群(徳島県板野郡松茂町所在)第一一航空隊所属S2F―1型対潜哨戒機第四一四五号機(以下「四五号機」という)。

(2) 海上自衛隊第二一航空群(千葉県館山市宮城所在)第一〇一航空隊所属HSS―2型対潜ヘリコプター第八〇〇八号機(以下「〇八号機」という)。

(五) 事故機搭乗員(所属・配置・階級・氏名)

(1) 四五号機

第一一航空隊 機長・正操縦士

三等海尉 松山光宇

同右 副操縦士   同右 町田洋蔵

同右 航空士    二等海曹 吉浪和司

第一〇一航空隊 同乗者

三等海尉 蛭田重

(2) 〇八号機

第一〇一航空隊 機長・正操縦士

三等海佐 福地家興

同右 副操縦士   一等海尉 田中忍

同右 航空士    同右 平嶋丈次

同右 同右     海士長  渥美新之

第一一航空隊 同乗者

三等海佐 高山正

同右 同右     二等海尉 松崎宗辰

3  本件事故に至る経緯及び事故の状況

(一) 海上自衛隊第三航空群第一一航空隊と同第二一航空群第一〇一航空隊の各司令は、第一〇一航空隊の基地である館山飛行場の整備工事に伴い、同航空隊所属のHSS―2型対潜ヘリコプター八機が第一一航空隊の基地である徳島飛行場に移動した機会に、昭和四一年一二月一二日から同四二年一月二〇日までの間、訓練シラバスに従って右ヘリコプターと第一一航空隊所属のS2F―1型対潜哨戒機との協同訓練を立案した。

(二) 本件事故の発生した昭和四二年一月一六日は、本件事故機の他に海上自衛隊第一一航空隊所属S2F―1型対潜哨戒機第四一四一号機(以下「四一号機」という)が参加して、次のような訓練項目を主な内容とする協同訓練が計画、実施された(以下「本件協同訓練」という)。

(1) S2F―1型対潜哨戒機による対潜捜索法又は哨戒法

(2) HSS―2型対潜ヘリコプターの急速発進法

(3) S2F―1型機とHSS―2型機との会合法

(4) 触接区域における両機の協同法

(5) S2F―1型機、HSS―2型機相互の安全限界の確認

(6) S2F―1型機レーダーによるHSS―2型機の誘導法

これは、ハンター・キラー・オペレーション(欺まん作戦)という対潜水艦作戦の一つで、HSS―2型対潜ヘリコプターがレーダーを止め、S2F―1型対潜哨戒機が右ヘリコプターと潜水艦をレーダーで捕捉する訓練である。すなわち、航空機がレーダーを電波輻射していると、潜水艦は逆探知機で航空機の所在を察知するため、一方の航空機はレーダーを回して潜水艦に航空機がいることをわからせるが、他の一機はレーダー電波を輻射せずに存在を隠し、レーダーを回している僚機に誘導されて潜水艦の上へ行くという訓練である。ただし、当日の訓練においては実際に潜水艦を使用せず、仮想して行った(以下、本件協同訓練中の本訓練を「本件誘導訓練」という)。

(三) 四一号機(山形文彬機長)、四五号機、〇八号機は、夜間協同訓練実施のため、昭和四二年一月一六日一六時五〇分頃から一七時一六分頃の間に相前後して徳島飛行場を発進し、紀伊水道伊島南方海域において、本件協同訓練の(1)ないし(5)を実施し、同日一八時二八分頃同海域における訓練を終了した。

(四) 引き続き一八時三〇分頃から、四一号機及び四五号機のレーダーによる〇八号機に対する本件誘導訓練に移り、伊島までは、四一号機が〇八号機の後方三ないし五海里(約五・五ないし九キロメートル)を飛行しつつレーダーにより誘導した。この時の飛行高度は、〇八号機が一〇〇〇フイート(約三〇〇メートル)、四一号機が一二〇〇フィート(約三六〇メートル)であった。

(五) 一八時四〇分頃、〇八号機が伊島西端上空を通過した際、四一号機は〇八号機に針路三三五度(北北西)を命令するとともに、四五号機に対し、レーダー誘導の交替を指示し、両機の了解を受信したのち、左旋回して四五号機の後方二ないし三海里(約三・七ないし五・五キロメートル)に位置し、以後その関係を保持して飛行した。

(六) 四五号機は、レーダー誘導を交替して約一分後、〇八号機に対し針路三四〇度を指示したところ同機は了解の応答をした。その一、二分後、四五号機は〇八号機から「雨域に入る」旨の通報を受けたので、針路三二〇度に変針を指示したところ〇八号機はこれを了解した。以後〇八号機はおおむね三二〇度の針路で海岸から約二海里(約三・七キロメートル)のところを、また四五号機はそのほぼ右後方をそれぞれ飛行した。

(七) 一八時四六分、〇八号機が和田鼻の南東約四海里(約七・五キロメートル)に達した頃、四五号機は〇八号機に対し「針路三三〇度」を指示したうえ、「レーダー位置(四五号機のレーダーで確認した〇八号機の飛行位置)は和田鼻の一四〇度四海里」と通報したところ、〇八号機はこれを了解した。

(八) 一八時四八分、〇八号機機長が和田鼻確認を四五号機に通報したところ、四五号機からこれに対し「〇八号機のレーダー位置は和田鼻の一四〇度一海里(約一・八キロメートル)」と通報してきたので、〇八号機はこれを了解した。右交信を傍受していた四一号機の機長は、四五号機及び〇八号機に対し「レーダー誘導訓練を終了する。通信電波を管制塔の周波数に変換する。」旨通報し、両機からの了解を受信した。

(九) 一八時五〇分頃、四一号機及び四五号機は、それぞれの周波数を徳島飛行場管制塔の周波数に変換した後、相互の交信状況を確認し、四一号機は四五号機に対し「(管制塔に)レーダー・ドーム(レーダー・アンテナの保護物)及びマッド・ブーム(航空磁気探知器)の引込み状態の目視点検を受けるため東側から飛行場に直線進入をせよ。本機はその後に続く。」旨を指示し、了解を受信した。

次いで四一号機は、徳島飛行場の南東約六海里(約一一キロメートル)の位置で管制塔に対し、四一号機及び四五号機の着陸指示の要求を行い、管制塔から着陸に関する指示を受信した。

(一〇) 一八時五一分頃(ただし、丙事件の原告らは一八時四九分から五〇分頃を主張する)、四一号機は四五号機が管制塔からの着陸に関する指示を了解したことを確認するため、四五号機を呼び出したところ応答がなく、その直後前方に明るい火があがり、燃えながら海面に落下する物体を認めた。また同時刻頃、単独訓練を終了して徳島基地へ帰投中の海上自衛隊第一〇一航空隊所属HSS―2型対潜ヘリコプター第八〇〇三号機(以下「〇三号機」という)機長長谷川喜助もこの火を認め、四一号機とともに四五号機及び〇八号機に呼びかけたが応答がないので、四五号機と〇八号機の衝突事故と判断された。

4  責任原因(被告の安全配慮義務違反)

(一) 本件協同訓練計画作成者の過失

(1) 誘導訓練実施場所及び終了地点設定における瑕疵

第一一航空隊及び第一〇一航空隊の各司令は、本件協同訓練計画の作成につき、国の公務員に対する安全配慮義務の履行補助者として、国にかわって同訓練参加隊員の生命を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っていた。

ところで、本件協同訓練の最後の項目である四五号機による〇八号機の誘導訓練は、本来潜水艦の出没海域で行われるものであるから陸地から遠隔の海上で行われるべきものである。これを便宜的に徳島基地への帰投時に行うについては、訓練に参加する各航空機の搭乗員が、着陸準備及び管制圏進入手続等を支障なく行えるよう、予め訓練終了地点を徳島飛行場から少なくとも一〇マイル手前の地点に設定し、かつ、訓練終了時における具体的指示方法を予め定めておくべき注意義務がある。しかるにこれを怠り、本件協同訓練の訓練統制官である四一号機の山形機長に訓練終了地点の設定指示等を任せた過失により、右山形は訓練終了地点の選定を誤り、同飛行場の管制圏直前まで慢然と訓練を続行し、そのため四五号機、〇八号機機長をして同機を正常に操作飛行する余裕を失わしめ本件事故を発生させた。

(2) 誘導訓練実施方法及び同終了時飛行方法の瑕疵

右訓練は、低速であるヘリコプター(巡航速力一一〇ノット)を、高速である固定翼機(同一五〇ノット)が、後航しながら誘導するものであるため、両機が接近しやすく、また両機の高度差は、誘導機が被誘導機をレーダーの映像に映すために、同機より若干ステップアップした程度であるから、訓練実施中は四五号機に〇八号機との接近に注意させ、一戦術単位としての協同訓練が終了したならば、接触の危険を避けるために直ちに別々の空域へ飛び去らせるべきである(航空機運航に関する訓令第二三条参照)。ところが、本件協同訓練計画では、これらに関する具体的指示及び確認は全くなされていなかった。

(3) 訓練統制官の訓練終了指示方法の瑕疵

訓練統制官である四一号機機長は、訓練終了時には、各機に対する以後の行動(針路・高度等)につき確認・指示するか、あるいは少なくとも「訓練終了」を命ずるには、各機に対して位置・高度等の相互確認をさせ、安全性を確認してからなすべきである。ところが本件計画では、四一号機機長は、右のような確認・指示を何らすることなく、四五号機・〇八号機に対し、一方的に「訓練終了」を命ずることができるとされており、そのために両機搭乗員にとっては、突如訓練の終了が提示され、訓練終了時期に関する前記(1)の混乱により、迅速に適確な行動ができなかったものである。

のみならず、四五号機は訓練終了の指示により、管制上は四一号機と編隊を組み、その指揮下に入り、とくに進入についての管制塔との交信は、直接行えないので四一号機の指示が唯一の便りであるから、進入については一種のあやつり人形の立場にあった。

一方、〇八号機は先任者である司令が一八時四九分に管制塔との着陸指示の交信をしたり、四一号機が交信中を傍受していたから、管制塔と交信すべく待機の状況にあったものである。

(二) 四一号機山形機長の指揮管理上の過失

仮に前記(一)の過失が認められないとしても、四一号機の機長山形文彬は、本件協同訓練中は訓練統制官、訓練終了後は四一号機と四五号機の編隊長として、国の公務員に対する安全配慮義務の履行補助者として、国にかわって本件協同訓練の参加隊員に対し、その生命身体の安全を配慮すべき義務を負っていた。

ところが、山形機長は、次のように安全配慮を尽くさなかった。

(1) 訓練終了指示地点について

本件誘導訓練を管制圏直前まで続行することは、前記のように四五号機の操縦士をして無線チャンネルの切替、交信、レーダー・ドーム、マッド・ブームの収納処理に忙殺させ危険が生ずることになり、かつ当日は、本件訓練に参加した三機の外にもヘリコプター三機、S2F一機が同時刻頃基地に帰投することを山形は知っていたのであるから、各機が事前に着陸準備及び管制圏進入手続をするのに支障のないよう余裕をもって「終了」を指示すべきであった。しかるに山形は、徳島飛行場に六マイルに接近して始めて交信するほど、訓練終了の指示を出すのが遅かった。

(2) 訓練終了指示方法について

山形は、前記のような状況から〇八号機と四五号機が異常接近しやすいことを考慮し、訓練終了を命ずるには、各機に対する以後の飛行高度・針路等につき、具体的に確認し適切な指示をなすべきであった。

しかるに山形は、右のような確認・指示を行うことなく、また両機がどのくらい接近しているか等を顧慮することなく、慢然と訓練終了を命じ、そのため右両機の接触を招いた。

(3) 動静不注視について

山形は訓練統制官、編隊長として、訓練終了後も四五号機及び〇八号機の動静を注視すべき立場にあった。したがって、訓練終了後の両機の飛行高度・針路に関し、予定どおりの飛行をしているか否かを確め、その機影(夜間であるので衝突防止灯)を常に注視しているべきであった。しかるに山形は、訓練終了後は衝突防止灯を注視せず、その結果、四五号機が〇八号機に訓練中より異常接近したのに気がつかなかった。

(三) 四五号機機長及び〇八号機機長の過失

仮に前記過失が認められないとしても、四五号機の機長松山光宇及び〇八号機の機長福地家興は、いずれも機長として本件協同訓練終了後、国の公務員に対する安全配慮義務の履行補助者として、国にかわって各機の搭乗員に対する安全配慮義務を負っていた。なお、本件事案においては、四五号機の機長は被誘導機であった〇八号機の搭乗員に対する安全配慮義務も負っていた。

ところが、四五号機の松山機長は、本件事故当日一八時四九分までレーダーで〇八号機を捕捉誘導していたのであるから、〇八号機との相対位置を熟知していた。しかも四五号機の操縦席の前方に被誘導機であった〇八号機を視認できたのであるから、〇八号機の動向を注意して同機と接触しないよう十分対空警戒を行って操縦すべき注意義務があったにもかかわらずこれを怠った。また、〇八号機の福地機長は、四五号機機長と共に同機長と同様に対空警戒を行って操縦すべき注意義務があるにもかかわらずこれを怠り、いずれも慢然と飛行を続けた過失により本件事故を発生させた(原告松山ヨシを除くその余の丙事件原告らは、四五号機の松山機長の過失のみを主張し、甲、乙事件の原告らは、四五号機及び〇八号機機長の過失を併せて主張する)。

5  損害

(一) 本件事故による死者らの逸失利益

本件事故による死者らの逸失利益は、本件事故後昭和五一年度までは死亡時の階級、号俸による当該年度の自衛官俸給表に基づき、昭和五二年度以降は同五一年度の右俸給表に基づき、その階級、号俸が一般的に昇給するものとして、満五〇歳の停年に達するまでに支給される俸給、手当をそれぞれ算出し、退職以降は満六五歳まで昭和五一年度賃金センサス中、第一巻第一表産業計企業規模計男子労働者学歴計における五〇歳以上の該当欄の平均給与及び平均年間賞与の合計額を基準にしてそれぞれ算出する。そして、右各年の収入から同人の生活費として四〇又は五〇パーセントを控除した額に、ライプニッツ係数を適用して年五分の割合による中間利息を控除すると、別表1ないし9の各1、2の金額のとおりとなる。また退職手当については、別表1ないし9の各1の欄外に記載した方式により算出した金額から別表1ないし6、8、9の各2記載の既支払額を控除した金額とする(別表7の渥美新之関係は退職金を受領していない)。

以上によれば、本件事故による死者の逸失利益は、後記(八)の(1)(甲事件)、(2)(乙事件)の各(a)欄及び別表10(ただし、同表記載の福地幸子は訴外人)の差引逸失利益欄(丙事件、以下同様)各記載の金額となる。

(二) 本件事故による死者らの慰謝料

本件事故による死者らの精神的苦痛を慰謝するには、後記(八)の(1)、(2)の各(b)欄及び別表10の慰謝料欄各記載の金額が相当である。

(三) 逸失利益と慰謝料の合計額の相続

本件事故による死者らの逸失利益と慰謝料の合計額を、その相続人が法定相続分に応じて相続した金額は、後記(八)の(1)、(2)の各(c)欄及び別表10の相続による取得分欄各記載のとおりである。

(四) 既取得分の控除

本件事故による死者らの相続人のうち、後記(八)の(1)、(2)の各(d)欄記載のものは、別表1及び2の各2記載の遺族補償年金、遺族特別給付金、賞じゅつ金を、別表10の既取得分欄記載の金額のあるものは同欄記載の右各金員を受領しているので、同人の相続分よりこれを控除すると、右各(d)欄及び別表10の差引額欄各記載の金額となる(なお、福地家興の相続人のうち福地幸子の損害は右によって全額充当されたことになる)。

(五) 弁護士費用

原告らが本件訴訟を提起するにあたり、原告ら代理人らに対して支払うことを約束した弁護士報酬額は、後記(八)の(1)、(2)の各(e)欄及び別表10の弁護士費用欄各記載のとおりであり、右費用は被告の前記安全配慮義務の不履行と相当因果関係にある損害である。

(六) 損害額

原告らの損害額の合計は、後記(八)の(1)、(2)の各(f)欄及び別表10の損害額欄各記載の金額となる。

(七) 遅延損害金

甲事件の原告らは、訴状送達の翌日である昭和五〇年六月七日から、乙事件の原告らは、訴状送達の翌日である昭和五一年四月一六日から、それぞれ弁護士費用を除くその余の損害金について、丙事件の原告らは、訴状送達の翌日である昭和五〇年七月二〇日からそれぞれ損害金全額(一〇〇〇円以下切捨て)について、各支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(八) 原告らの個別的な損害額の算定

(1) 甲事件(町田洋蔵関係)

(a) 逸失利益 金五〇八五万三二八一円

(b) 慰謝料 金六〇〇万円

(c) 相続分

原告町田泰子 金一八九五万一〇九四円

同 町田洋介 金三七九〇万二一八七円

(d) 控除後の金額

原告町田泰子 金六九四万八五八八円

(e) 弁護士費用 各金一〇〇万円

(f) 損害額合計(原告町田洋介は内金)

原告町田泰子 金七九四万八五八八円

原告町田洋介 金三八八五万二一八七円

(2) 乙事件(高山正関係)

(a) 逸失利益 金四三〇二万五〇七七円

(b) 慰謝料 金六〇〇万円

(c) 相続分

亡高山ヒナヨ 金四九〇二万五〇七七円

(d) 控除後の金額 金四五一八万九〇七七円

(e) 弁護士費用 金三〇〇万円

(f) 亡高山ヒナヨの損害額合計 金四八一八万九〇七七円

ところで高山ヒナヨは、本件提訴後の昭和五四年二月一日死亡したため、同人の右損害賠償請求権をその子原告蛭本美代子、同高山めぐみ、同国広富美子が各金一六〇六万三〇二五円宛相続した。

(3) 丙事件(福地家興関係ほか)

福地家興関係ほかの丙事件原告らの損害額明細は別表10のとおりである(ただし、損害額合計欄記載の金額は一〇〇〇円以下を切捨てる)。

6  結論

よって、原告らは被告に対し、債務不履行に基づき請求の趣旨記載の金員の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1ないし3は認める(ただし、本件事故発生時刻は一八時五一分頃である)。

2(一)  同4(一)のうち、第一一航空隊及び第一〇一航空隊の各司令が本件協同訓練計画の作成につき、国の公務員に対する安全配慮義務の履行補助者として国にかわって同訓練参加隊員の生命を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っていたこと、本件誘導訓練を徳島基地への帰投時に行ったこと、本件協同訓練の終了地点の指示等を訓練統制官の山形文彬に委ねていたことは認める。その余の事実は否認する。誘導機は被誘導機より若干高度をステップアップするとは、二〇〇フィートないし五〇〇フィート上空を飛行するという意味である。

(二) 同(二)のうち、四一号機の山形機長が本件協同訓練中は訓練統制官、訓練終了後は四一号機と四五号機の編隊長であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同(三)のうち、四五号機及び〇八号機の機長が国にかわって搭乗員の安全を配慮すべき義務を負っていた点は否認する。その余の事実は認める。

3  同5のうち、(一)の逸失利益の算定基礎は認めるが、その余は全て争う。

三  被告の主張及び抗弁

1  本件事故原因について

四五号機の松山機長及び町田副操縦士は、本件事故当時、徳島飛行場規則に定めるイニシャル・ポイント(同飛行場東方三海里)に針路を向け、かつ、右イニシャル・ポイント上の指定高度一二〇〇フィートを維持して飛行すべきであった。しかるに四五号機は、衝突推定高度である八〇〇フィートまで降下して航行した。また、〇八号機の福地機長及び田中副操縦士は、右飛行場規則に定める目視位置通報点(着陸のために通過すべき点)である吉野川河口に向かうべく針路を西に変更するとともに、ヘリコプター場周経路上の飛行高度である五〇〇フィートになるまで降下すべきであった。それにもかかわらず、〇八号機は、東側に寄った航路をとったうえ飛行高度を適切に下げなかった。もし、両機に職務上当然要求される右の飛行方法が行われたとすれば、両機の針路は互に左右に離隔し、かつ、高度差も生じ当然のことながら空中衝突の事態は起こらなかったはずである(別図第1、2参照)。本件事故は、事故機両機が右のような運航の安全に対する最も基本的な注意義務を懈怠したことと相まって、事故機両機が異常接近した際に、四五号機の機長及び副操縦士が前方の確認を怠って危険回避の操作義務に違反し、また〇八号機の機長及び副操縦士も対空警戒を怠った運航上の過失に起因して発生したものであり、国の安全配慮義務とは全く異なる。したがって、原告が主張するように本件事故は、協同訓練計画及び四一号機機長の指導の不適切に起因するものではない。

2  本件誘導訓練について

本件演習計画は、捜索探知機器、捜索探知方法の異なる異機種の航空機が、対潜触接区域における協同対潜戦の演練を目的として計画されたものであり、このうち本件のS2F―1型機のレーダーによるヘリコプターの誘導訓練は、他の訓練項目と比較してはるかに容易かつ単純な運動であって、誘導方向に障害物さえなければ、どの空域においても実施可能な項目であり、しかも本件誘導訓練は、実際の潜水艦を使用してヘリコプターを誘導するものではなく、適当な距離を適宜の地点までヘリコプターを誘導するものであった。そこで訓練統制官である山形は、本件事故当日、飛行前に各機の搭乗員に対して、基地までの帰投時に右訓練を実施することとし、四一号機が協同訓練終了空域から伊島までの約一五マイル四五号機が伊島から和田鼻附近までの約一〇マイルと計画し、同所で本件誘導訓練を終了することを指示説明し、各機の搭乗員はこれを十分了解していたところである。しかも当時、伊島北方の空域で本件誘導訓練と同様の誘導訓練がレーダー操作員の訓練の一貫として、随時、日常的に行われていたものであり、本件誘導訓練を行うについて、特異、かつ危険な空域とは到底いえない。したがって、原告らの誘導訓練を帰投時に実施し、訓練空域が一定の地域に制限されたことによる演習計画の瑕疵の主張は理由がない。

しかも、本件訓練計画における四五号機による〇八号機の誘導は伊島から徳島飛行場の南東約一〇マイル地点までということで約一〇分間を計画し、実際の誘導訓練もそのとおり実施され予定地点で訓練を終了したのであって、何ら唐突に訓練終了を通告されたものではない。

また、原告らが主張するような着陸準備のためのチャンネルの切替、交信等は、本来容易に、かつ、適宜に実施されるべきものであり、四五号機操縦士が本件誘導訓練終了時、四一号機山形機長の指示によって必要とした操作は、通常わずか数秒で終了する程度のものであって、その操作に忙殺されるような処理内容ではない。

有視界飛行状態にある四五号機の機長は、操縦に関して何ら四一号機の制約を受けているものでないことはいうまでもない。

3  四一号機機長の注意義務について

四一号機の山形機長は、本件協同訓練の当日、訓練統制官として飛行前の説明において、訓練に参加する各機の搭乗員に対して、前記のとおり訓練計画の内容を十分に説明し、搭乗員はこれを十分に了解しており、この事前の説明で指示された地点において実際の訓練終了指示をした。しかも四五号機機長が訓練終了時に必要とした原告ら指摘の操作は、通常わずか数秒で終了するもので、四五号機の正操縦士松山三等海尉(総飛行時間一五八三時間)及び同副操縦士町田三等海尉(総飛行時間一七一〇時間)の豊富な経験からすれば、右各操作は何ら忙殺されるような内容ではない。そのうえ四五号機と〇八号機は本件誘導訓練を終了する間際まで視程良好な空域を有視界方式でレーダーによる誘導訓練を行っていたのであるから、両機は相互に飛行位置、速度等を十分認識していたはずであり両機の針路は訓練終了地点を基点に三〇度の角度で左右に離隔し、予定どおり飛行していれば、本件衝突地点では二海里の幅で離隔することになり、両機の高度差は五〇〇フィートの予定であった。

したがって、仮に四一号機機長が国の安全配慮義務の履行補助者に該当するとしても、同機長は、事故機両機の飛行予定上の位置関係からして、本件事故の発生を予見することが不可能であったから、被告には何ら責任がない。

また、本件事故当日の飛行においては、四一号機と四五号機の二機が同一編隊を構成し、四一号機機長が編隊長となり、本件協同訓練開始後終了時までの間に限って訓練統制官として〇八号機に戦術的指示をするものであり、訓練終了後の〇八号機の飛行、操縦は、同機の機長が固有の権限と責任とに基づいて決定すべきものであった。

4  四五号機及び〇八号機機長の地位並びに注意義務について

本件事故発生当時、四五号機及び〇八号機の機長は単にそれぞれ自機を操縦する任務に従事していたのであって、国の公務員の安全に対する配慮を具体化するための任務に従事していたのではなく、安全配慮義務の履行補助者ではなかった。

また、機長ら操縦士に要求される同乗者の安全に対する注意義務は、単に航空機の操縦士が運航の際に一般に要求される義務にすぎず、国が搭乗員に対して負う安全配慮義務とは全く異なる。公務員が航空機の操縦士として右のような義務を怠った過失によって事故を惹起した場合、国家賠償法一条一項あるいは民法七一五条に基づいて国の責任を問うことはできても、それを安全配慮義務違反とすることは、右義務の性格を誤解するものであって適切ではない。

なお、航空機の異常接近を防止するため、防衛庁では他の航空機と六〇〇メートル以上の水平距離又は一五〇メートル以上の垂直距離を保つことを定めて(航空機運航に関する訓令、昭和三一年第三四号)事故防止に当っているのである。本件は、まさに操縦士らの基本的な過誤によって衝突事故が発生したものである。

5  過失相殺(四五号機副操縦士町田洋蔵)

四五号機は、操縦席が複座になっており、かつ、正副操縦士が搭乗しなければ飛行してはならないと規定されている(航空法六五条二項)。このことは、両操縦士が操縦に関する業務を共同して行うことを建前としたものであり、副操縦士は正操縦士を補佐することとされているのである。しかるところ、四五号機の副操縦士町田洋蔵は、本件事故当時、松山機長が操縦桿を握り同機を操縦していたのであるから、機外の見張りは機長以上に厳重にし、〇八号機との距離及び高度差に関し適切に助言し、機長を補佐すべき義務があり、この義務を十分尽くしていたならば本件事故を回避することができたものというべきである。したがって、右副操縦士町田にはこの点において過失があったから、本件における損害額の算定にあたってこれを斟酌されなければならない。

四  被告の主張及び抗弁に対する答弁

1  被告の主張及び抗弁1ないし5は争う。

2  四五号機の副操縦士町田洋蔵は、松山機長の指揮下にあって、機長の指示を受けて補佐的な業務を行うにすぎず、飛行針路や高度を変えることはあり得ない。また見張り義務についても、着陸間際になって、四一号機から慌しい点検指示を受けたため、副操縦士として飛行準則に従いチェック・リストの読み上げを行っていたときに〇八号機と接触したものと推定されるから、右町田に見張り義務違背があったものとはいえない。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求の原因1ないし3の事実(原告らの身分関係、本件事故の概要、本件事故に至る経緯)については、本件事故発生の時刻を除いて全部当事者間に争いがない。

しかして、《証拠省略》によれば、本件事故機に後続して飛行していた〇三号機が「一機爆発して墜落した」旨送信したのが一八時五一分四四秒、同じく四一号機が「四五号機が徳島南東五マイル火を吹いて墜落した模様……」と管制塔と交信したのが一八時五二分〇秒であることが認められる。

してみると、本件事故発生の時刻は、昭和四二年一月一六日一八時五一分頃であったことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二  本件協同訓練計画作成者の安全配慮義務違反

1  原告らは、本件協同訓練計画作成者が本件誘導訓練実施場所及び終了地点を誤って設定したうえ、訓練終了時の指示方法等を予め具体的に定めなかった点について安全配慮義務違反があった旨主張するので、まずこの点について検討する。

2  海上自衛隊第一一航空隊及び第一〇一航空隊の各司令が本件誘導訓練を含む協同訓練計画を作成したこと、各司令は右訓練計画を作成するについて、国の公務員に対する安全配慮義務の履行補助者にあたること、本件誘導訓練がハンター・キラー・オペレーション(欺まん作戦)という対潜水艦作戦の一つで、HSS―2型対潜ヘリコプターがレーダーを止め、S2F―1型対潜哨戒機が右ヘリコプターと仮想潜水艦をレーダーで捕捉する訓練であること、本件協同訓練計画において、訓練終了地点の選定、指示等を訓練統制官である四一号機の機長山形文彬に任せたことは当事者間に争いがない。

3  右争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件協同訓練計画は、航空集団司令官が搭乗員の錬成訓練につき定めている基準、すなわち訓練シラバスに基づき、第一〇一航空隊がその母基地である館山基地の滑走路修理のため、徳島基地に移動した機会を利用して、ヘリコプターとS2F機との協同訓練を立案実施したものであり、その具体的な訓練計画については両航空隊の訓練係が検討立案し、各航空隊の飛行隊長、司令の承認を得たうえ作成したものである。

(二)  本件誘導訓練において、レーダーによる誘導を行うS2F―1型対潜哨戒機四五号機の機長松山三等海尉の固定翼機の飛行経験は一五八三時間、同機副操縦士町田三等海尉の固定翼機の飛行経験は一七一〇時間であって、両名とも本件事故当時、徳島基地第一一航空隊所属の中堅パイロットであった。また、被誘導機HSS―2型対潜ヘリコプターの機長福地三等海佐は四一号機山形機長の元上司であり、固定翼機の飛行経験は二七三二時間、回転翼機の飛行経験は三三五時間を有するベテランパイロットであって、同機副操縦士田中一等海尉の固定翼機の飛行経験は二八一時間、回転翼機の飛行経験は五〇〇時間であった。なお、四一号機の機長山形二等海尉のS2F―1型対潜哨戒機の飛行時間は約二二〇〇~二三〇〇時間であった。

(三)  本件協同訓練に先立ち訓練参加者全員に対して実施された合同のミーティングにおいて、第一一航空隊の訓練係は、徳島飛行場規則に定められた固定翼機、回転翼機の出発、進入あるいは場周経路のルール及び本件協同訓練の目的、実施要領について、詳細な説明をした。本件協同訓練の主目的は、近接した飛行を行うため、安全上最も注意すべき触接区域における三機の協同訓練であり、レーダーによる誘導訓練では三機が接近して飛行することはなかった。右実施要領では、S2F―1型機機長が当初から訓練統制官及び触接区域指揮官となり、訓練終了の時機については、訓練統制官が定めるものとされていた。右訓練統制官には山形文彬が任命されたが、同人の権限は、訓練の開始及び終了時機の決定、触接区域において実施すべき戦術の決定、基地に対する位置通報の実施を直接指示するものであり、協同訓練終了後においては、航空隊所属の異なる〇八号機に対する統制権限を全く有しなかった。

(四)  山形訓練統制官は、事故当日、一五時三〇分頃から約三〇分間、第一一航空隊飛行前説明室において、説明会を実施し、右説明会には四一号機、四五号機、〇八号機の全搭乗員と第一一航空隊司令が参加した。山形は、訓練実施要領に基づいて訓練目的、訓練項目の内容及び当日の徳島基地に関する飛行予定を説明し、徳島基地を利用する航空機の飛行時刻が一九時前後に集中するので、帰投時の場周経路への進入・飛行については特に注意するように指示した。さらに、気象室提供による天気図等を参考にして飛行場の気象状況を説明し、天候上訓練に全く支障がないので予定通り実施する旨述べたうえ、実施要領の細部について逐一説明を加えた。本件誘導訓練については、触接区域における訓練終了後、徳島基地への帰投時に実施することとし、触接区域(伊島南方約一五マイル附近)から伊島附近まで四一号機が、伊島から徳島飛行場南東一〇マイル附近までは四五号機が、それぞれ約一〇分間〇八号機に対してレーダーによる誘導訓練を実施することとし、右訓練の開始、終了時機については四一号機の山形機長が指示をすること、被誘導機である〇八号機の基準高度は一〇〇〇フィート、スピードは一二〇ノット、その約三マイル後方高度一二〇〇フィートで四五号機、更にそれより二、三マイル後方高度一三〇〇フィートで四一号機が後続する位置関係を説明した。

なお、誘導機は、通常二〇マイルレンジのレーダーを使用し、被誘導機から約五マイルから一〇マイル離れた位置に占位して誘導し、高度は仮想潜水艦と被誘導機を共にレーダーに映し出さねばならないし被誘導機より下では同機の映像をとらえることができないため、被誘導機より若干ステップ・アップして飛行しなければならなかった。

(五)  館山基地所属の〇八号機福地機長、同田中副操縦士らは、徳島基地に移動前、館山基地において徳島飛行場規則に関する一般的な説明を受けていたし、徳島基地に移動後及び本件協同訓練前にも、その都度係員から固定翼機、回転翼機の徳島基地における発着時の場周経路に関する規則、管制通信について詳しく説明を受け、本件事故発生前すでに何回も同飛行場で離着陸していた。右飛行場規則によれば、固定翼機四一号機及び四五号機の編隊は、イニシャル・ポイントのある飛行場の東側から進入することとなり、他方、回転翼機〇八号機は吉野川河口から固定翼機より低い高度で吉野川沿いに飛行場の南西方向に迂回して着陸のため場周経路に進入することになっていた(別図第一参照)。そのため訓練終了後、両機は当然に針路及び高度とも離隔することになっていたので、山形は右飛行前の説明において、帰投時の高度の規定、進入方法については説明しなかった。

4  右認定の事実関係によれば、本件協同訓練に参加した航空機の各機長及び副操縦士は、いずれも経験豊富なパイロットであること、四五号機の機長、副操縦士は徳島を基地とする第一一航空隊所属の隊員であって、徳島周辺の地形、気象等飛行条件については熟知しており、本件誘導訓練は他の訓練に比し四五号機が〇八号機と接近して飛行するものではなかったこと、そして飛行前に、山形訓練統制官から訓練内容、訓練場所等について詳細な説明があり、また着陸時に関する注意もなされたこと、しかも、本件訓練前には、参加者全員が徳島飛行場規則について十分な説明を受けていたので、訓練終了後の飛行方法について特に説明がなくても、同規則により四五号機と〇八号機は訓練終了後直ちに針路・高度とも離隔することになっていたことが認められる。

してみると、国が本件協同訓練計画の作成にあたり、訓練実施場所及び終了地点の指示を訓練統制官である山形文彬に任せていたこと及び訓練終了時の具体的指示方法等について予め右計画に定めていなかったとしても、この点において国の安全配慮義務違反があったものということはできない。

三  四一号機山形機長の安全配慮義務違反

1  次に原告らは、四一号機の山形機長が本件訓練の終了地点の設定を誤ったうえ、四五号機及び〇八号機に対する適切な指示及び両機に対する注視を怠った点に安全配慮義務違反があった旨主張するので、この点について検討する。

2  山形機長が本件協同訓練中、訓練統制官であったこと、訓練終了後は四一号機、四五号機の編隊長であったことは当事者間に争いがない。

ところで、訓練統制官の権限は、第一一航空隊及び第一〇一航空隊所属の隊員並びに航空機の参加する本件協同訓練の開始終了時機の決定、触接区域において実施すべき戦術の決定、徳島基地に対する位置通報の実施を直接指示すること等であったことは前記認定のとおりである。また《証拠省略》によれば、編隊長は編隊機の機長を指揮する権限を有することが認められる。右の事実からすると、訓練統制官であり、編隊長であった山形機長は、訓練参加隊員に対し、また訓練終了後は編隊機の機長に対し、支配管理の権限を有しており、国の安全配慮義務の履行補助者となるものと解される。

3  そこで、山形機長のした本件協同訓練終了地点の指示に誤りがあったか否かについて検討する。

本件事故の概要、事故に至る経緯については当事者間に争いがないところ、本件誘導訓練を含む協同訓練計画自体に瑕疵がなかったことは前記認定のとおりである。しかして、右事実に《証拠省略》を総合すると、次のような事実が認められる。

(一)  四一号機及び四五号機は、本件事故当日一六時五〇分頃、徳島飛行場を離陸し、一七時五分ないし同一〇分には訓練予定空域に到達し伊島上空まで進出した。そこで山形訓練統制官は、伊島南方一五マイル附近を訓練空域とし、一七時一〇分頃から両機による区域の捜索あるいは想定による潜水艦の探知、捕捉、追尾等の各種の戦術訓練を実施した。

(二)  一七時四〇分頃、〇八号機が訓練空域に到着したので山形は、訓練実施要領に従い触接区域における三機による協同訓練を開始し、一八時二八分頃右訓練を終了した。

(三)  一八時三〇分頃から、レーダーによる本件誘導訓練を実施することとし、まず伊島南方一五マイルから伊島までの約一〇分間は、四一号機のレーダーによる〇八号機の誘導訓練を行った。続いて、伊島上空に到達した一八時四〇分頃、四五号機及び〇八号機に対し四一号機のレーダー誘導訓練の終了を通告し、次にレーダー誘導を四五号機と交替するように指示し、右両機の了解を得たのち、四一号機は左旋回して四五号機の後方にまわり、レーダーを停止した。

(四)  したがって、四五号機は一八時四〇分頃、伊島上空を過ぎた地点で〇八号機に対するレーダー誘導訓練を開始した。誘導予定時間は約一〇分間であり、終了予定地点は徳島飛行場の南東一〇マイル前後と定めていた。また一八時四〇分頃の三機の相対位置は、針路を概ね北に採り、〇八号機は高度約一〇〇〇フィート、その約三マイル後方高度約一二〇〇フィートに四五号機、さらにそれより二、三マイル後方高度約一三〇〇フィートに四一号機が航続するという関係位置であった。

(五)  四五号機は、〇八号機の誘導を開始して約一分経過後に、同機から雨域に入った旨の通報を受け、直ちに同機に対し、北に向って三二〇度ないし三三〇度に変針することを指示し、その後数回四五号機から〇八号機に対して針路修正の指示がなされ、陸地に沿って北上した。

(六)  一八時四八分頃、〇八号機は四五号機に対し、和田鼻を視認した旨通報したところ、これに対し四五号機は、〇八号機のレーダー上の位置は和田鼻の一四〇度一マイルである旨応答した。これを四一号機の山形機長が訓練用電波により傍受し、山形は訓練統制官として当初予定していた訓練終了地点に達したので、四五号機及び〇八号機に対し、本件訓練終了を告知し、同時に訓練用電波を管制塔電波に切替えるように指示した。右時刻における四一号機、四五号機、〇八号機と当時単独で訓練を終了して帰投中の〇三号機(機長は第一〇一航空隊司令長谷川喜助)の推定関係位置は、おおよそ別図第2(1)のとおりであり、同時刻における推定高度及び推定距離等は同図面(2)記載のとおりであったものと想定される。

(七)  四五号機が〇八号機を誘導していた一八時四〇分頃から四八分頃までの間、両機は適当な間隔をとり続け、四五号機は〇八号機に対し適切な針路変更等の指示をしていたので、「失探」しているような状況はなかった。なお、当初四五号機の誘導訓練も約一〇分間予定されたが終了地点に達したので実質約八分間で打切られた。

(八)  四一号機及び四五号機は、一八時五〇分頃、それぞれ無線の周波数を管制塔電波に切替えた後、相互の交信状況を確認し、同五〇分一七秒、四一号機が四五号機に対し、「感明度良好……(レーダー・ドーム及びマッド・ブームの引込状態を管制塔の)目視点検のため直線進入し、低空通過を行う」旨進入方式を指示したところ、四五号機から同五〇分二五秒に「了解」と応答があった。そこで四一号機は同五〇分三四秒、四五号機に対し、「貴機の後からついて行く」旨通報したところ、四五号機は同五〇分三七秒に「了解、了解」と応答したので、四一号機は同五〇分五七秒、管制塔に対し、徳島の南東六マイルとその位置を通報したうえ、着陸指示を要求した。管制塔は同五一分〇二秒、四一号機に対し、使用滑走路、風向、風速及び気圧に関する着陸のための情報を告知したうえ、イニシャル・ポイントで通報するように求めたところ、四一号機は同五一分一二秒、これを了解した旨応答した。

(九)  その後四一号機は、同五一分三七秒に四五号機に応答を求めたが反応がなく、その直後の同五一分四四秒に〇三号機が四一号機に対し、「一機爆発して墜落した」旨通報してきた。事故調査の結果、衝突時の状況は、四五号機の左プロペラが〇八号機のテール・ローターのシャフト部分を切断し、ほぼ同時に〇八号機のテール・ローターが四五号機の左翼半分ないし三分の二を切断して両機とも飛行不能になり、その直後に爆発炎上したものと推定された。

なお、四一号機及び〇三号機機長の事故調査委員会に対する各供述、四五号機が〇八号機に通報したレーダー位置、交信記録、当時の気象条件、陸上及び海上から事故を視認した状況等を総合して、一八時四〇分頃から本件事故が発生した同五一分頃までの事故関係機の推定航跡を図示するとほぼ別図第1のような航跡であったものと窺い知ることができる。

(一〇)  四一号機及び四五号機の搭乗員が訓練終了後に行うべき無線チャンネルの切替、交信、レーダー・ドーム、マッド・ブームの収納処理等の操作点検は、機長又は副操縦士がごく短時間に前方を十分注視しながら、自らあるいは他の搭乗員に命じて行うことができるものであり、レーダー・ドームを機体内に収納することによる加速も下降気流がある場合はほとんど生ぜず、下降気流がない場合においても時速約四ノットにすぎない。また、四五号機の機長及び副操縦士とも長時間の飛行経験を有する中堅パイロットであったことは前記認定のとおりである。

(一一)  本件事故発生当時、四五号機及び〇八号機はいずれも有視界飛行を行っていたが、その頃の徳島飛行場における視程は、一二マイル(約一九キロメートル)、雲高三〇〇〇フィート(約九〇〇メートル)で降水及び視程障害現象はなかった。

4  以上の事実に徴すると、山形機長のした本件訓練の終了指示は、訓練実施前に計画し、予め訓練参加者にも説明していた地点とほぼ同一の地点においてなされており、当初予定されていた一〇分間の訓練時間が、約八分間で打切られたことについても格別問題とすべき点は見当らない。また、徳島飛行場の管制圏の直前で訓練終了を指示したという原告らの主張のような問題点もなく、四五号機の機長、副操縦士の飛行経験をもってすれば、訓練終了後に行うべき着陸準備の操作は、きわめて短時間に、かつ、容易に行われるものであって、その操作点検等に忙殺されて事故を招くようなことはあり得ない。したがって、山形機長のした訓練終了の指示方法には、何ら不適切な点があったものとは認められない。

5  原告らは、山形機長が右訓練終了の指示を行う際、四五号機及び〇八号機に対し、訓練終了後の飛行高度、針路に関し適切な指示を与え、訓練終了後も両機の動静を注視すべき義務があった旨主張するので、更にこの点について検討を加える。

《証拠省略》を併せ考えると、次の事実が認められる。

本件協同訓練のため徳島基地を出発後、訓練空域に到着するまでの間、及び訓練終了後基地に帰投するまでの間は、四一号機と四五号機の二機が編隊となり山形機長が編隊長となったこと、編隊長は編隊機の機長に対して指揮権を有するが、事前に右機長と必要事項について打合せたうえ、両機共通の飛行計画書を作成して承認を得たこと、そのため管制上は一グループとして取扱われることになり、コール・サインも編隊の呼出符号として「トラッカー・フライト」という呼称で提出したこと、山形は訓練統制官として本件訓練の終了を指示した後は、〇八号機に対し何ら指揮権をもたないので、〇八号機は機長の自主的判断で行動し着陸を行うことになること、したがって、四一号機が四五号機に対し、イニシャル・ポイントに向うよう指示し、管制塔に着陸指示に関する交信をしていた一八時五〇分の時点で、徳島飛行場規則に定める進入方法に従い、四一号機と四五号機の編隊は高度一二〇〇メートルで北進し、〇八号機は高度五〇〇フィートに下げつつ吉野川河口(目視位置通報点)に向けて左旋回することになり、当然両機の針路、高度に差を生じ互に離隔していくことになる予定であったこと、そのため、山形機長が、すでにレーダー誘導訓練によって相互の位置関係を熟知している四五号機及び〇八号機に対し、更に細部の指示を与えることは、かえって複雑な規制を加えることになり、誤った飛行・操作を誘発する危険を生ずるおそれがあった。

右認定の事実関係からすると、本件訓練終了時、山形機長が四五号機及び〇八号機に対し、基地へ帰投する際の飛行高度、針路等に関する指示を与えたり、あるいは訓練終了後の両機の動静を注視すべき義務があったものとは認められない。また、四五号機が四一号機と編隊を組み、管制上一グループとなってその指揮下に入っていても、有視界飛行状態にある四五号機の松山機長が操縦、着陸に関して四一号機の制約を受けているものではなく、四五号機は独自に交信して着陸の指示、許可を受けることになり、四一号機の機長と管制塔との前記のような交信情報も当然受信していたものと推認できるから、原告ら主張のように四五号機があやつり人形の立場にあったとは到底いえない。

よって、原告らの主張はいずれも理由がない。

四  四五号機及び〇八号機機長の安全配慮義務違反

1  最後に事故機である四五号機及び〇八号機の機長が事故当時、相手機に対する対空警戒等を怠った点について安全配慮義務違反があった旨の主張について判断する。

2  はじめに、四五号機の松山機長及び〇八号機の福地機長が国の安全配慮義務の履行補助者であったか否かについて考える。《証拠省略》によれば、航空機の機長は、飛行中搭乗員を指揮し、航空業務の実施について責任を有し、また、飛行前に、機体、発動機、無線機等について点検義務のあることが認められる。してみると、本件事故機の機長は、飛行中搭乗員を指揮し、飛行業務の達成、搭乗員の安全をはかる等、搭乗員に対して支配管理の権限を有しており、国の安全配慮義務の履行補助者であったということができる。

3  そこで、本件事故が四五号機機長及び〇八号機機長の安全配慮義務違反によって発生したものであるか否かについて検討する。

四五号機機長に原告ら主張の対空警戒を怠った過失があったことについては、原告松山ヨシを除くその余の当事者間に争いがない。

また、本件事故直前の状況についてみると、一八時四九分頃本件訓練終了後、四五号機は高度を上げつつ徳島飛行場のイニシャル・ポイントに向けて変針すべきであり、これに対して〇八号機は高度を下げて徳島飛行場の回転翼自衛隊機の場周経路の方向(吉野川河口)へ向け、四五号機とは高度、針路とも離隔するように飛行すべきであるにもかかわらず、一八時五一分頃別図第1に示した×地点で衝突したものであることは前記認定のとおりである。しかも、《証拠省略》によれば、四五号機は事故直前まで〇八号機をレーダーで適確に捕捉し、その飛行位置を把握していたこと、また同機の正副操縦士席からの視野は十分確保されており、有視界夜間飛行の支障となる事情はなかったから、明確に前方を飛行中の〇八号機の衝突防止灯の点滅を視認できる状況であったことが認められる。しかるに《証拠省略》によれば、四五号機は衝突前〇八号機の斜後方を高度差を保って飛行していたにもかかわらず、急に飛行角度を下げて〇八号機に突っ込むようにして接触し、爆発炎上して墜落したことが認められる。それゆえ、《証拠省略》によれば、四五号機の搭乗員は一名を除き全員が通常の姿勢のままの状態で衝突しており、事故直前まで衝突を予期していなかったものと窺われ、接触の危険を回避する措置はとられていなかったことが認められる。

してみると、本件事故は、機体の欠陥、計器類の故障等物的瑕疵はなかったのであるから、結局、右のように両機の機長が飛行場規則に従い安全に操縦運航すべき義務に違背したことと相まち、四五号機の機長及び副操縦士が対空警戒ないし前方確認の義務を懈怠したことが事故の原因になったものと推認するほかない。

4  しかして、四五号機機長及び〇八号機機長の右操縦運航上の義務違背、四五号機の正副操縦士の対空警戒の懈怠は、航空機の操縦士として一般的に要求される航空機を安全に操縦、運航すべき注意義務に違反したことをいうにすぎず、これと、公務員の職務専念義務、法令及び上司の命令に従う義務と対応し、国が給与支払義務とともに公務員に対して負担するいわゆる安全配慮義務違反とは峻別すべきものと解さざるを得ない。

したがって、本件において、右のような航空機の操縦士として要求される業務上の注意義務違反の事実が認められるとしても、当然に国の安全配慮義務の履行補助者の過失があったものと同視することはできない。他に本件事故が四五号機あるいは〇八号機機長の安全配慮義務違反によって発生したものと認めるに足る資料はない。

五  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土田勇 裁判官 池田克俊 六車明)

〈以下省略〉

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